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恐れと向き合う時

<Meeting The Unwanted  人生で起きて欲しくないことにどう向き合うか>

パスワークシニアヘルパー、ブライアンによる初回開催日が近づいています。初回は2月20日(土)、このワークショップシリーズのコンセプトとなるクラスです。

今回は、「起きて欲しくないこと」と向き合う、その時に感じる恐怖との出会い方について、ブライアンが過去にHPに寄稿されていた記事を翻訳してお届けします。ご本人の健康危機の際に現れた、「内なる医者」(危機的状況で賢明に私たちを導く内的権威)について書かれています。



今日は、「内なる医者」の登場を促す、エネルギー的または感情的な動きと変化のお話をします。簡単に言うと、私たちが恐怖に出会う方法のことです。建設的な方法で恐怖に対処する方法を学ぶことは、健康危機だけでなく、私たちの安全に関わる毎日の脅威にも当てはまります。ですから、健康への恐れに向かい合うことで、自分について学べることは、私たちの人生のあらゆる側面に役立つのです。


私たちの多くは、恐れとはお粗末な関係しか持っていません。否定し、誇張し、投影し、服従し、ネガティブに楽しんだり、押しつぶしたりします…。恐怖は大抵、私たちを脅かし、コントロール欲求を増長します。私たちは恐怖の上に仁王立ち、超越し、どうにか操作したいと思うものです。恐怖する想像上の結果より、束縛される方がまだましと感じられるのです。


望ましくない感情から身を守るために誰もが使う、2つの基本的なエネルギーの操作またはコントロールの方法があります。一つは感情を限定することです。それから生命を搾り出すことで、私たちはコントロールしようとします。もう一つは、痛みを増幅して、実際よりも大きくする方法です。私たちは、人生、神、または他の人を自分の意志に服従させようと、痛みや感情をドラマチックにします。

私たちの本当の課題は、この感情的な操作を観察し、恐怖(あるいはどのような感情であっても)それが自発的に流れるがままにすることです。


恐怖は安全の感覚への希求をもたらします。しかし、真の安全は、その瞬間のありのままであり、自分を守るために構築された作り物ではありません。真の感情からの保護は必要ありません。恐れ、悲しみ、怒り(真の感情の表現)は、私たちに害を及ぼすことはないのです。本当の害が及ぶのは、痛み、傷つきやすさ、無力感から身を守ろうとする時です。


ディフェンス(防衛)やブロックなしに恐怖に立ち向かうことは、私たちの基本的な人生観の核心に触れます。人生の究極的な本質を、混沌とした破壊的な、または悪と見なしますか?それとも、健康的で信頼できる、愛情深いものだと見なしますか?

これは私たちの霊的な方向付けが、人生への反応を形作るところです。私の経験では、悪や破壊は、痛みと苦しみへの抵抗の働きとして、現実において相対的に存在します。ですから、私たちが望ましかろうと望ましくなかろうと、全ての感情を抑圧や誇張なく、あるがままに感じられる範囲で、私たちは「内なる医者」(危機的状況の発生において、賢明に私たちを導くことができる内的権威)とのコンタクトに入ることができます。そしてまた、地上の天国を味わうこともできるのです。



「内なる医者」とは、ある意味、私たちの全てを知り尽くし、自然な成長へと導いてくれる「かかりつけ医」のような感じでしょうか。危機が私たちを否応なく変化へと押し流している今、変化の恐怖に飲み込まれない為には、この内的権威とのコンタクトはとても大事なことだと感じました。




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