前回のブログから少し間が空きました。秋の訪れと共に復活です!^^
「大いなるもの〜スピリットと共に創る人生」の第1シーズンが終わったばかりの頃でした。シニアヘルパーのブライアンの文章より、スピリチュアリティーを生きる時、浮上する疑いや信念との関わり方の智恵をご紹介しました。(→前回ブログ)
先週スタートした第2シーズン「意志の正しい使い方」では、講師マデリンの解説と誘導のもと、外的意志(健全な大人のエゴの意志 & 未熟な小さいエゴの意志)と内的意志(ハイヤーセルフの意志)」この3種類の意志を体感するエクササイズがありました。
スピリチュアルな人生の創造には、内的意志と健全な外的意志が必要であると、このテーマを特に選んだマデリンの意図を強く感じられるクラスでした。
今月のブログも引き続き、様々なスピリチュアリティーの入口をご紹介します。
アメリカの心理学者、作家、マインドフルネスの教師であるタラ・ブラックさんの講話「スピリチュアルな人生における祝福 part2:内なる火」より、個人的な感想を含めたシェアです。
タラは、ウパニシャッドの古いお話から、霊的旅路の力となる3つのヒントを3回に分けてそれぞれ詳しく取り上げています。
ストーリーのあらすじは、友と死に別れ、父から「地獄に行け」と罵られ、死の主ヤマ(仏教で言う閻魔様のようです)に会いに行った若者の魂の闇夜のお話です。
彼の真摯な姿勢に感銘を受け、ヤマは若者の旅路を助ける3つの贈り物を与えようと言います。これに対して若者が要求した3つのものこそ、「無常の生命への智慧の現れ」だとタラは説明します。この若者は、命は永遠ではないことを知っていたということです。
1つ目の贈り物は、平和と許しに開く心。
反目した父、自分自身、その他誰であっても、自身のハートから弾き出した状態では、決して自由にはなれない事を若者は知っていました。ヤマの贈り物を受け取り、彼のハートは開きます。
2つ目は、内なる火の贈り物。
これは、内側の純粋で真摯なエネルギーです。自分にとって本当に大事なのは何かを知っており、私たちをコーリング(呼びかけ)の方向へと運んでくれるロンギングであり、霊的な道を歩き続ける勇気でもあります。若者は内なる火も手に入れます。
更に3つ目の贈り物として、彼は死を超える真実を知りたいと要求します。
ヤマはその智慧を直接与えることはできないので、若者の中で自然に湧き上がるようにと鏡を与えます。
若者は鏡を覗き込み「私は何者なのか?」という永遠の問いに深く入ります。マインドとハートから幻想が剥がれ落ち、彼は自分自身の奥深くから愛の意識が輝き渡るのを見、その輝きを全ての生命の中に見ます。
それが自らの源であると知り、彼は自由になったというお話です。
今日ご紹介する講話(パート2)は、この「内なる火」についてのお話しです。
タラは、この火のことを、私たちがそれぞれ本当に大事と感じているものだと説明します。
本当に大事なものを忘れず、意識的に繋がっていられれば、それが私たちの霊的な旅を前に推し進めてくれる。勇気を与えてくれる。この火を保っている人は、命を大事に生きて、人生に興味を持ち続けているように見えるものだと。
この内なる火の表現は様々です。
自然から受ける喜びかもしれないし、大義かもしれない、愛する家族に貢献することかもしれない。
それが何であろうと、火がある時には、プレゼンスが在る。「今この時」の現実に出会える状態なのだと説明します。
タラは、この火と繋がることによって、細々した生活の全てが、真に貴重なものになると説明します。
彼女の講話には良くジョークが登場するのですが、ここでも一つ披露されます。
探究者が、祈る時にタバコを吸って良いものかと先生に尋ねに行ったら、「それは不敬である」と怒られます。戻って友人に怒られたと話すと、それは聞き方が間違っているんだろうと、今度は友人が尋ねに行きます。「タバコを吸う時にも祈っていて良いですか?」と尋ねると、「もちろん是非そうしなさい!」と言われます。
これはジョークですが、どの瞬間でも本当に大事なものと繋がっていれば、何処にいて何をしていようと、全ての状況は自らの目覚めをサポートするとタラは説明します。
内なる火と繋がっていれば、全てが道となる。
自分にとって最も大事なものと繋がっていれば、道を妨げるように思える障害物も、道そのものとなる。パスワークで学ぶところの危機の霊的な意味を見つける姿勢そのものだと思いました。
タラは、私たちがヤマに出会う時について明確に話します。危機、魂の闇夜ですね。
ヤマは「何を欲しいのか?」と聞くでしょう。
まずは、ジャッジして責め続けるハートの武装を解きたいと思いますよね。平和と許しが欲しい。それから、内なる火、深いロンギングの導きが欲しいところです。道から外れないよう、自分にとって何が本当に大事なのか思い出し続けたいと望みます。
この先は、おそらくその暗闇の中で「自分が何者であるのか」という体験に繋がるのだと思いますが、パート2は、内なる火の話なので、そこへは進みませんでした。
その後、私たちが陥りやすい、内なる火の逸脱について話しています。
私たちが恐れの中にいる時、この火はどこかに行ってしまう訳ではなく、サバイバルのエネルギーとして使われます。
「うまく行く訳ない!」
「どうしたら良いんだ!」
「あなた何でそんななの!」
本来の自分を生きる筈の純粋なエネルギーは防御的になり、私たちは一日中、場合によっては何年も、「今ここ」に在る神秘と愛に開くことなく、サバイバルに勤しむことになります。
タラはルーミーの言葉を引用します。
「真の人間であるならば、愛に全てを賭けなさい。半分だけでは、威光へは届かない。神を見つけに出かけたのに、たちの悪い宿屋に長期滞在しているようなものだ。」ルーミー
私たちは神を探しに出かけるのに、毎日の生活の中で寄り道をし続ける。どうしてこんなことになるのだろうか。昔ビデオゲームを通して自己探究?に勤しんでいた思春期時代の息子さんが展開した自己分析から、タラはこの状態を説明してくれます。
生きているという深い実感への憧憬、つまりは内なる火への深い憧れがあったとしても、私たちは大抵疲れている。そんな時、ビデオゲームの興奮が簡単で早いドーパミンの代替品になる。もっと深いものが欲しいけれど、エネルギーが低く、癖がつくと、代替品で埋めようと求め続ける。
他の代替品として、繋がりに飢えて他者の承認を求め続け、相手が望むように自分を変形させる癖についても話します。本来の自分との繋がり、内なる火との繋がりを遠ざける癖です。
ここでまた一つ、アメリカンな感じのジョークが出てきます。
「死は誕生の瞬間から始まるけれど、ディナーパーティーに行くと加速する。」
これ、パスワーク的には理想的自己像のことですね。
「理想的な自己像がもたらす重大な結果は、真の自己とどんどん疎遠になってしまうことです。」パスワークガイド
内なる火から遠ざかる防御システムは、個人でも集団でも同じです。話は、人類全体の内なる火へと広がります。
「自分(self)が欲しいものではなく、深い自分(Self)が欲しいものなのだ。そこに繋がるには深く潜る必要がある。」D.H.ローレンス
個人であっても、集団であっても、内なる火に再び繋がる為には、内側に潜っていく存在(プレゼンス)が必要なのです。
生命に自分を開いていくこと、今この瞬間に戻るリスクをとることは、日々の訓練だと彼女は話します。サバイバルモードから一時休止に入り、大事な問いに入っていくこと。
「私にとって、何が本当に最も大事なのだろうか?」
「私は何を愛しているのか?」
この問いは、内なる火を思い出させ「今この瞬間」に自らを開かせてくれます。私たちは「今」によって変わり続けるのだとタラは教えてくれました。
火は意志の象徴として使われることがあります。
火を手に入れた人間がそれを自己中心性からではなく内的意志から使えるか。人類の未来は、一人一人の内にある、この火の使い方によって方向づけられるような気がします。
「宇宙には2つの基本的な流れ、おそらく最も基本的な2つの流れがあります。一つは愛の力です。これは、自分自身をすべてのものの中心だとみなしているけれど、実際には大きな全体のほんの一部にすぎないちっぽけな自己を引き出し、対話し、超えて行くための力です。」レクチャー75番「人間の成長における偉大なる移行」より引用
お読み頂き、ありがとうございます!
これは、45分のビデオトークを個人的な感想と共にまとめたものです。忠実な翻訳ではないことをご理解ください。(文中緑字では、タラの言葉を引用しています。)
タラご自身は、内なる火を「意志」とは表現していません。
パスワークでは、3つの人格タイプの内の1つ「意志」の純粋な表現を「勇気・力」と分類することから、意志と結びつけて書き起こした記事です。
タラのHPでは、素晴らしい学びのシェアが数多くありオススメです!深い愛と共感を体現されている先生だと感じます。ほとんど英語ですが、日本語字幕がついているものもあります。
マデリンのオンラインWSはシーズン中でも参加申込み可能です。(既に完了したクラスは録音受講となります。)
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