top of page

シニアヘルパー・ブライアンが語る「スピリチュアルな人生」

先月、PIJオンラインワークショップ「大いなるもの〜スピリットと共に創る人生」第1シーズンが終了しました。


マデリンの力強いサポートのもと、スピリットとの非常に個人的で親密な関係性の土台が築かれた3クラスだったと思います。

9月から始まる第2シーズンでは、スピリットと協働する、人間の意志の在り方を学びます。


今月のブログでは、昨年のオンラインワークショップを監修してくださった、シニアヘルパーのブライアンがスピリチュアリティーについて書かれた文章をご紹介させて頂きます。(長文の為、要約しております。原文




ブライアンは今年に入ってから、「スピリチュアルな人生」をテーマとするイベントでスピーチの依頼を受けたそうです。

スピーチの準備をしようとしていた時のことです。


アイデアやインスピレーションが枯渇したように感じました。自分に活を入れようと試みましたが、これは勿論うまくいかず。次に、私の蔵書から霊性に関する本を持ち出して詰め込み始めました。詰め込んだものはその瞬間には刺激的でしたが、本を置いた時には興奮は失われていました。一週間も経たない内に、霊的に高揚しとかなきゃならないと気づいた時、私はパニックになり、迷子になりました。次の戦略は眠ることでした。それも長時間!



評判の悪い悪循環を巡った後、ようやく私が理解したのは、自分で陥った苦境について話せるということでした。今回のテーマは、霊的な旅における、疑い、信仰の喪失についてかもしれない。

これを受け入れることで、私の情熱は再燃しました。


スピリチュアルな道を歩むということは、信念のなさに直面し、暗闇で迷い、疑いに取り囲まれることを意味します。本物の霊的な訓練は、この疑いの力との体験を加速します。祈りと瞑想は、不安の僻地へ追いやられ、埋められた恐怖を意識上に持ち上げてくれます。


瞑想している間、一連のフレーズが意識に上がって来ました。

「あなたの疑いを信じ、あなたの信念を疑いなさい。あなたの疑いに疑いを持ちなさい。あなたの信念に信念を持ちなさい。」

それぞれについて順番に説明していきたいと思います。



疑いとは、直感と人生経験から蓄積された知恵から生じているかもしれず、明白な質問をしているシンプルな常識かもしれないと、ブライアンは書いています。

これが、「疑いを信じる」です。


疑惑の声に耳を傾け、注意を向け、敬意を払い、その声に応えることです。この声は、優れた識別力の声となり得ます。



それから「信念を疑う」段階の説明が続きます。


私たちが信仰と呼ぶものの多くは、不安定な基盤の上にあります。それは、希望的観測、怠惰、または無知の働きである可能性もあります。


ブライアンは、このような信仰は、人生に責任を持ちたがらない子供意識から来ており、幼い頃に描いた「完璧な」天国のイメージから来ると書いています。子供の信仰は、実存の恐怖を否定し、戦争、病、貧困、残酷さ、気候変動などの痛みある現実に直面せずに済むよう、甘い「菓子」で人生を覆うと説明しています。



「疑いに疑いを持つ」

疑いに価値があるのに、なぜ疑いを疑うことを提案するのか。


どんな真実であっても、エゴの意志に奉仕するためにも使えるのです。上で述べたように、疑いは私たちの成長を促進させることができます。それは私たちを自らの足で立つ思想家に育ててくれます。その昔、人生の変遷から自らを守るために構築した防御を破壊することもできます。

しかし、疑いはまた、未知の領域に飛躍することから私たちを引き止めます。疑いは恐れの手先になれるのです。


ブライアンは、小川を渡る時に岩から岩へとジャンプする時、否定的な可能性と結果を指摘する疑念が私たちの足をすくめさせ、岩の上で立ち往生させる場合があると説明します。スピリチュアルな旅路において、私たちの飛躍の時に、この疑念の声が訪れることがあると。


疑いにも、偽の信仰と同じく、利害関係や希望的観測がある。

人生の意味や目的、死して後の生命など、人智を超える大いなる編成と展開を疑うことで、私たちが奥深くで生命を否定している暗い部分と向かい合い浄化するという、きついワークからの逃避を提供する場合もあると書いています。



次に「信念に信念を持つ」という言葉について解説が続きます。


本当の疑いが尊重され、私たちが運命に向き合う時、そして、コントロールを失いたくない恐怖する小さなエゴの疑いに挑戦する時、私たちは信仰を持つことができます。

そうして初めて、勇気、誠実さ、そして愛をもって、防御なく人生のより大きなミステリーに向かって歩みを進めることができます。一人ではないと気付くリスクを冒せるのです。私たちは愛されていること、そして実際に愛であることを発見できます。



ブライアンは、ルーミーの言葉を引用しています。

「秘薬は毒の中に隠されている。毒に来なさい、来て、あなたの根である根本、真の自己(大文字Self)に戻りなさい。」ルーミー


“The elixir is hidden in the poison, come to the poison and come, return to the root of the root of your own Self.” Rumi



私たちが神の源から離れている限り、私たちには疑いという挑戦があります。ですから、疑いは問題ではなく、それとどう出会うのかが問題なのです。

スピリチュアルな修練は、疑いの犠牲者になることなく、信仰とのより深い繋がりを見つける入口として疑いを扱う態度を養います。


「信仰はとてもシンプルです。話せませんが、歌えます。論理的ではありませんが、踊れます。チャンスをつかんで。チャンスをつかんで。人生は多くの方法(道)でいっぱい。太陽、雨、風、雪。知らないままに、私たちは恩寵の地をたどります。一息一息、そして瞬きから瞬きまで、私たちの思ってる方法(道)とは決して同じにはなりません。」 —アル・カーミンズ


“Faith is such a simple thing. It can’t talk, but only sing. It can’t reason but can dance. Take a chance. Take a chance. Life is full of ways to go. Sun, rain, wind, snow. All unknowingly we trace a geography of grace. From breath to breath and blink to blink, it’s never quite the way we think.” — Al Carmines





☆シーズン1「生命の流れに委ねる」

録音受講が可能です⇨お申込み


☆シーズン2「意志の正しい使い方」

9月スタート参加お申込み受付中⇨お申込み


閲覧数:73回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page