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執筆者の写真pathworker

自分自身と人類について、パンデミックから学ぶこと


PIJおなじみのシニアヘルパー、ブライアン・オードネルのインタビューをネットで見つけました。

リサ・バリーという女性が「魂と芸術:幸福のアート」という自身のサイトの中で、ブライアンにインタビューしています。

パスワーカーではないリサ・バリーのダイレクトな質問は、聴いている側の心の声を代弁するような勢いがあります。その勢いがお伝えしきれないのが残念ですが、ズバッと訊くな~という感じです。

また、この短時間のインタビューの中でも、繊細でダイナミックなエネルギーのシフトも感じられ、パスワークの伝道師ブライアンを感じました。^^

以下のサイトで聴けます!

リサ:

私たちの多くにとって、このパンデミックは大きなチャレンジです。あなたはこれを成長の機会として見ているそうね。そのこと、もう少し教えてください。

ブライアン:

もちろん、喜んで。

スピリチュアルな視点からは、危機はより良い人生への招待であると言えます。

でも多くを失い、破綻の中で極度の不安を抱える人にとって、これがとても受け入れがたい言葉であることも確かです。

だから、このことを話題にするのは、一つのパラドックスとも言えますね。なぜなら私たちは、皆が経験していることに対し、感情的に非常に繊細でいる必要もある。我々の中でも、特に辛い経験をされている方がいるのだから。

だが一方、より大きな視点を持つこと、つまり人間の進化とスピリチュアルな人生の本質は拡張であり、より偉大な創造力へと誘う呼びかけであることへの理解を持つことは、大きな助けにもなるんです。

変化への恐怖があると、しがみつき、硬くなってしまう。危機がもたらす機会は、古い構造を崩すこと。私たちの個人的な人生であっても、集合としての人生であっても、新しい可能性と機会が与えられているんです。

リサ:

理解はできるけど、全般的にそれが広がるのっていつかしら?私たちの多くは、今起こっていることで精一杯。それって今起こるの?それともこれから起こるの?

ブライアン:

正しい視点とコンセプトを持っていれば、それは今起こることも可能だよ。

だけど、まずは古い構造が崩れるがままにするための時間が必要なんだ。それには、嘆き、不確実さ、失ったものを感じる、そのための場所を健全な形でつくることが求められている。この出来事がより良い人生への招きであるという大きな視点のコンセプトを持ちつつ、自分の感情が建設的にこの出来事と出会うにはどうしたら良いのか、私たちはそこに注意を向ける必要がある。

それが結婚であれ、仕事関連であれ、パンデミックであれ、病気であろうと、どんな危機の際も、古い構造が崩れるがままにする必要に迫られる時がある。それによって生まれる感情の流れの中にいて、感情が私たちを通り抜けるがままにし、その感情を抱きしめる。

そして、ある時点で尋ね始める。「ここにある教えは何だろうか?」個人としても、集合としても。

「集合として、私たちは何を知る必要があるんだろうか?人類へのメッセージとして、このパンデックは私たちに何を教えているんだろうか?」

あるいは個人として、「私の人生の病気について教えてくれているんだろうか?」「これが私に教えてくれていることは何だろうか?」

本当に建設的に自分自身の感情とワークすることができるならば、それが私たちの直感への扉となる。そしてその直感は、私たちがこの出来事から学ぶべきものを見極める助けとなるでしょう。

リサ:

それって1人でできるものなの?あなたは臨床心理士として多くの人をサポートしてるけど。みんながそういうサポート受けられる状態じゃないかもしれないし…。

ブライアン:

もちろん。もちろんできます。できる限り防御なく、このことと出会う勇気があるならば。これと寄り添い、危機と共に進むということです。

多くの場合、私も含め、誰しも危機が起こった時には、非建設的な態度でもって「何故こんなことが私に起こるんだ!こんなこと起こっていい訳がない!誰の責任だろうか!」と考えます。この態度は苦痛を長引かせる。

そのことに寄り添い、共に進み、そこから学び、そのことを悲しみ、失ったものを深く嘆くことができるならば、それは私たちをより大きな生きている感情に運んでくれるでしょう。

リサ:

失ったものを深く嘆く。それってどれだけかかるの?その先の素敵なところに行くのにどれくらいかかるんだろうか。(笑)

ブライアン:

(笑)いやいや、もしかしたら、自分の中で深く嘆くというのが素敵なところかもしれないよ。私たちには、自分を傷つけるものとして痛みをとらえる態度がある。痛みは私たちを傷つけない。痛みへの抵抗が私たちを傷つける。

”good grief” 「良い嘆き」というものはあるんですよ。

”Good grief!”(訳:やれやれ、おやまあ、なんてこった!)ってよく言うでしょ。みんなよく言ってる。この言葉が本当だから使うんだ。


私たちが自分の嘆きや不確実さや恐怖をもっと感じることができるならば、それは私たちをもっと、”whole”(全体)にしてくれる。私たちは安定し、統合された感覚を感じられるようになる。

リサ:

あなたが言ってるのは、私たち、しばらくオッケーじゃなくてもオッケーだってこと?

ブライアン:

その通り。その通りだよ。君、色んな媒体でそれを言っているよね。オッケーじゃなくてもオッケーだって。本当にその通りだ。

この心地悪い感覚にサレンダーする必要があるんだ。同時に逆説的だけど、より大きな視点もホールドしつつ。これが進化であり、私たちをより大いなる人生へと招く呼びかけであるという視点だね。

これは薬(メディスン)なんだ。これは私たちが集合的に向き合っている薬。この薬を健全な形で服用することができるのかということ。

何年も沢山の人とワークしてきて、そこから理解できたことがあります。

私たちが本当にソフトペイン(柔らかい痛み)に開くことができるなら、人生が今もたらしているものに開くことができるなら、それは私たちにより統合された、もっと生き生きとした、全体性をもたらしてくれるだろう。


本当のソフトペインを感じることへの抵抗をパスワークではハードペイン(硬い痛み)と呼んでいます。このハードペインは、私たちに苦々しさを残し、砕けたままにし、より多くの苦しみを創り出す。

より深いソフトペインを感じることを避けるため、私たちはハードペインの中をぐるぐるします。皮肉なのは、それによって、より多くの苦しみが生まれることです。

私たちは、そこにチャレンジしていかないと。

リサ:

では最後に、あなたが残しておきたい考えは?

ブライアン:

私の学んでいるパスワークの中で、こんな一節があります。

“That which is your salvation appears as your undoing.”

「あなたの救いとして現れるのは、あなたの"undoing"(元通りにすること、ほどくこと、解くこと、破滅)です。」

私たちがより良い人生を望むならば、必要とされる破綻もあるということの理解です。この破綻を通り抜けねばならない。私たちが真の自分自身となりたいと思うならば、"undone"(未完成)でいなければならない。



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