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バーバラ・ブレナンとパスワーク


世界的に有名なエネルギーヒーラー、教師、作家、ビジネスウーマンでもある、バーバラ・アン・ブレナンとパスワークとの関係を調べてみました。

パスワーカーとしての活躍はあまり取り上げられていませんが、バーバラはパスワークのシニアヘルパーでもあります。

バーバラをご存じない方もいらっしゃると思います。彼女は、エネルギー、オーラ、ヒーリングといった用語や概念が社会に広まる上で、世界的に大きな影響力となったスピリチュアルリーダーの1人です。

様々な分野に多くの意識改革をもたらし、可能性を開いたクリエイティブな女性だと思います。バーバラと彼女のpath(道)について、調べてみました。


バーバラは1939年に生まれ、ウィスコンシンの農場で育ちました。幼い頃から人や木や他の生物を囲む霞のようなものとしてオーラを見ていました。後に彼女のライフワークとなるこの「オーラ」は、誰もが見ているものと思っており、取り立ててそのことを大人に話したことはなかったそうです。成長と共に、その能力は忘れられました。

ウィスコンシン大学で大気物理学の修士号を得て、院卒後6年間NASAで勤務、地球表面に反射する太陽光を測定する研究をしていました。60年代後半、居住していたワシントンD.C.は当時、社会的政治的な激動の時でした。その変革に心奪われ、NASAを辞職し、当時の夫とフォルクスワーゲンバスでメキシコへ向かい、そこで幼少期の霊性との繋がりを思い出し、日常的な瞑想をするようになりました。アメリカは、まさにニューエイジ幕開けの時代でした。


以前、バーバラが来日した時、その時期の思い出話をされていました。「私たちは"All we need is love!"(私たちに必要なのは愛だけ!ビートルズの歌 ”All you need is love”「愛こそすべて」をもじっている)と叫んでいた。それで全てがうまくいくような気がしていたけど、現実は想像していたのとは違っていた。今思うと私たちは、"All is Love"(全ては愛なんだ)ということをまだ知らなかったのね。」

バーバラも当時の激変するアメリカで生きた若者だったということ、夢と痛みと成熟を感じる話だなと心に残りました。

その後、ワシントンに舞い戻ってからも瞑想の習慣は続いており、自らの「内側の世界」に魅了され、人間の感情を理解することへの興味に導かれ、マッサージセラピスト、そしてカウンセラーとしてのキャリアを歩きはじめます。


コミュニティー・オブ・ザ・ホール・パーソンという組織で、セラピーカウンセリングの2年間プログラムに参加し、バイオ・エナジェティックス研究所でセラピストになる訓練を受け、その後、コア・エナジェティックス研究所でエヴァ・ピエラコスの夫であるジョン・ピエラコスに師事していました。


ワシントンでバイオ・エナジェティックスの施術を提供していた頃、クライアントの過去生のビジョンが見えるようになり、それをどう扱ったら良いのか分からず、助けを求めて祈っていた答えが、ニューヨーク州フェニシアにあったパスワークセンターへの移住だったと、後にバーバラは自身の著作『癒しの光(下)』に書いています。

バーバラは、フェニシアに移り住み、自身のプロセスワークにコミットすることにしました。

エヴァ・ピエラコスから、チャネリング能力が開くのが早すぎて、内面がまだあまりにも怒りで満ちており、自身の能力を扱いきれていないことを指摘され、まずはチャネルを閉じるようアドバイスされました。

その指摘はバーバラのガイダンスとも重なり、バーバラは小さいエゴの抵抗を感じながらも、自分のプロセスワークのためにのみチャネリングを使い、それ以外には能力を閉じるようにしたそうです。

チャネルを閉じてから初めの6年間は、自己変容のための個人的なプロセスワークにコミットしました。最初の2年は神聖な意志、次の2年は神聖な愛、次の2年は神聖な真実に集中し、ついに6年後、再びチェネルを開く準備ができたと感じたと書いています。

バーバラはパスワークセンターで学び、働き、生活し、9年間を過ごしました。4歳で共に移住した娘が13歳になった訳です。

バーバラは「癒しの光(下)」の中で、パスワークセンターについてこのように述べています。

「この時期、誰もが多くを学んだ。我々は自分たちが光の都市を建設しているのだと考えていた。しかし後に皆が世界中に散らばったあと、実は各自が、それぞれ自分が求めていたものをあそこで得たのだということを知った。」

その後、バーバラはヒーラーであるロザリン・L・ブリエールからも学んでいます。

自身のヒーリング能力を他の人に提供する準備を整え、1977年、バーバラはニューヨーク州でヒーリングの個人セッションを始めます。広告を出すこともなく予約は1年先まで埋まり、ようやくセッションに入れた人も次回は1年後というような状態だったようです。

より多くの人にエネルギーヒーリングを伝えるために教え、自身のガイダンスに従い、執筆も始めました。後に多くの言語に翻訳され、世界中で多くの影響を与えた「光の手」初版本は、バーバラが家を売ったお金で自費出版されたものです。

当時、バーバラはパスワークのリトリート・センターがあるセブンオークスでも、ヘルパーとしてワークショップを開催していたそうです。大前みどりさんの話によると、セブンオークスの食堂を出た横に大木があり、それはバーバラがセブンオークスで初めてワークショップをした時に植えた苗が成長した大木だと教えてもらったそうです。


最後は、日本語訳版の「パスワーク」(ナチュラルスピリット出版)に載っているバーバラの献辞で締めたいと思います。


「エヴァ・ピエラコスによるパスワークの贈り物は、20年に渡り私のそばにあります。それは私が知る限り、最も深く効果的なスピリチュアル・ワークです。私が自分の夢に気づくことを助けてくれました。読み返す毎にパスワークが教える知恵の奥深さと愛に驚きます。実践的な真実の道があなたの人生を変えるでしょう。」バーバラ・アン・ブレナン



【バーバラ・アン・ブレナン著書】

『光の手』上・下 河出書房新社

『癒しの光」上・下 河出書房新社

最新作”Core light healing”は、日本語訳が待望されています。

【セブンオークス・リトリートセンター】


【以下、参照したサイト】


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