PIJオンラインワークショップは、コロナ禍の中「危機の霊的な意味」を見出したいという想いから始まりました。
第1弾<Meeting The Unwanted 人生で起きて欲しくないことにどう向き合うか>では、講師のブライアンから提示されたキーワード "Unwanted"=「望まない」現実との避けられない出会いについて学びました。
初回シリーズの最終回(4回目のクラス)では、人間の根源的な葛藤である死と喪失にスポットが当たりました。
「死と向き合う〜生と死の二元性を超えて」というテーマのもと、講師マデリンご本人の喪失経験からの深く力強いシェアを頂きました。
マデリンは、この時、涙の効用について話されています。
そのことについて書かれていた彼女の過去ブログ(昨年5月)より、内容を翻訳して要約シェアさせて頂きます。
マデリンは、このように書き始めています。
私は今月末に向けて、日本のパスワーク・コミュニティーで提供されるワークショップシリーズの最終回の準備をしています。このシリーズは、「Unwanted(望まないこと)」がテーマです。とってもタイムリーですよね。全くのところ、今年は「望ましくない」一年になったもんだと思いませんか?
「望ましくないこと」をどうするのか?
これ、いつかは、何らかの形で、誰の人生にでも現れてくるものです。失われた愛、夢、全般的な喪失、そしてもちろん死の喪失があります。全くもって望ましくないことです。
このテーマの中心は、悲しみ嘆くことです。制限時間内に到達したいからと言って、他の感情全てを飛び越えて、受容に至ろうなんて無理です。「望まないこと」にぶち当たる時、私たちは真の受容に到達できるように、全ての感情を感じ切る必要があるのです。
悲しみ嘆くことには多くの表現がありますが、常に悲しさと涙が含まれます。
その後、マデリンは涙の持つ生理的な機能について説明します。
涙は、交感神経優位の状態から、副交感神経優位の状態へと移行するきっかけとなります。そして、その涙がフルボディーであればある程、効果があると書いています。
フルボディーな涙!ワイン好きな感じですね!とても素敵な表現だと思います。
そんな涙を思い起こさせるという詩をシェアしてくれています。
ちょっとだけ泣いたってしょうがない。
涙で枕がずぶ濡れになるほど泣かないと!
そうしたら、起き上がって笑うことができる。
そうしたら、シャワーに飛び込んで、バシャ!バシャ!バシャ!
そうしたら、窓を開け広げて、「ハハハ!ハハ!」
もし人が「ねえ、どうしちゃったの?」って言ったら、
「ハハハ!」って歌い返してあげよう。
「幸せは最後の涙の中に隠れてた!それを泣いて出したんだ!ハハハ!」
"Crying" ゴルウェイ・キネル作
マデリンは、赤ちゃんのように泣くようにと書いています。
私たちは涙を未熟さや弱さと結びつけて判断します。批判への恐れと、泣くことについての否定的な思いが、涙を抑制し、泣いたり悲しんだりする動きを抑制します。
「子供の頃、ただ泣き叫ぶのがどれほど気持ち良かったか覚えていますか?子供達は、深い泣きから、あっという間に笑い出すことができます。」
文中、BBCで特集された日本で「涙活」を広めている先生についても触れられています。
最後、マデリンはこのように文章を締めています。
「涙が流れ落ちるがままにさせてあげて。ちょっとだけじゃなくて、枕をずぶ濡れにするくらい!そして、その後に来る安堵感を味わってください。柔らかくなった心、新たになった希望、新しい可能性へのオープニングを。」
一昨年、世界中がコロナ危機に直面しました。
あまりに圧倒的でした。一人では味わい切れない感情を感じるスペースをコミュニティーの中でホールドできないかと、PIJコミュニティー瞑想会が開催されました。
そして昨年、収束がつかないままコロナ禍が続く現実に過去の傷が活性化され、「望まない」現実と建設的に出会う叡智を求める想いが浮上したのだと思います。
「望まないこと」とどう出会うのか、人間として避けることができない喪失をどのように味わい、通り抜けることができるのかという疑問から、PIJオンラインワークショップ第1弾はスタートしました。
その後、「望まないもの」を通り抜け、私たちが心から「望むもの(真の富)」は何なのだろうという好奇心が生まれ、シリーズ第2弾は、<豊かさへのトランスフォーメーション〜欠乏意識から真の富へ>というテーマのもと、様々な角度から豊かさを見ていく場が生まれました。
そして今年は、私たちがアフターコロナに望む「真の豊かさへの創造」に向かう助けとして、<スピリットと共に創る人生>というテーマで、マデリンに3シーズン全9回のワークショップをお願いしています。
コロナ禍から始まったテーマの変遷を思い返すと、スピリットの臨在を求める今の流れは、とても自然な欲求の表れだと感じます。
ここで、旧約聖書の詩篇23篇が浮かびました。
「死の陰の谷」という言葉から、映画や小説の中で触れられることの多い有名なフレーズですが、ここ数年の自然な欲求の変遷の中から読むと、深い恩寵を感じさせてくるように感じます。
主は私の羊飼い。
私は乏しいことがない。
主は私を緑の野に伏させ
憩いの汀に伴われる。
主は私の魂を生き返らせ
御名にふさわしく、正しい道へと導かれる。
たとえ死の陰の谷を歩むとも
私は災いを恐れない。
あなたは私と共におられ
あなたの鞭と杖が私を慰める。
私を苦しめる者の前で
あなたは私に食卓を整えられる。
私の頭に油を注ぎ
私の杯を満たされる。
命あるかぎり
恵みと慈しみが私を追う。
私は主の家に住もう
日の続くかぎり。
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