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HTPアプレンティス、ジャック・ボッジャーさんへのインタビュー


今回は、HTP(ヘルパーシップトレーニング)でアプレンティス・ヘルパーを2年間されていた、ジャック・ボッジャーさんにインタビューしました。HTPは全課程5学年あり、今年の秋から3学年目に入っています。ジャックさんの優しく穏やかなエッセンスをお伝えできていれば嬉しいです。


パスワークとの出会い、ヘルパーになられたきっかけを教えてください。


1960年後半から、瞑想を通じて自分自身の霊性を探求し続けていました。グループで毎日6時間瞑想する6か月の集中プログラムが終わった後、ふと何かが足りないと思いました。それまでの瞑想の学びで得た深い霊的な経験が、日常生活では生きていないことに初めて気づいたのです。深い瞑想によって霊的な経験をしていましたが、それでも人生の中に、その霊性が触れていない領域が残されていました。

霊的な学びの中で、スピリチュアル・バイパス(スピリチュアルで避ける)という言葉があります。感情的反応や信念など、面倒なワークを迂回して悟ろうとすることを意味します。自分がそのスピリチュアル・バイパスをしていると気づいたんです(笑)。


その気づきから、バーバラ・ブレナンの学校に入学しました。バーバラのプログラムは、私に必要なスピリットレベルと肉体のエネルギーレベルとの繋がり、信念システム、感情領域の繋がりを育てる最適なプログラムだと思いました。が、入学してすぐ、自分はビギナーだったと気づきました(笑)。感情的な表現や探求、パーソナルプロセスのワークなんて、やったことがなかったんです。その一年後、もっと感情レベルにアクセスしたいと、パスワークのPTPに参加しました。


事情がありPTPは途中で中断、先にバーバラの学校を卒業しました。その後、2012年にセブンオークスのパスワークセンターでPTPを修了しました。そのままレクチャートレーニング(PIJではHTP課程の一部)を2年間受け、その後、カリフォルニアでHTPを修了しています。


私には、ずっと実践していた瞑想の霊的経験を人生に統合したいというゴールがあり、そのためには、感情的反応やマインドの信念をワークしていくことが必要でした。パスワークで学んだ、「何事もスキップすることはできない」という真実を実感してます。まったく、その通りでしたね。


アプレンティスって何ですか?アプレンティスは何をしているのでしょう?


ヘルパーの見習い期間のようなものです。HTP卒業後の学びの機会で、グループとワークする為の理解とスキルを磨く目的です。HTPでは、一対一のセッションのトレーニングは多くありますが、グループにおける相互関係の力動や原理を学ぶには、グループの一部になってエネルギーを経験するのが一番なのです。


クラスの中では、アプレンティスとして、グループ全体のエネルギーをヘルパーシップ意識でホールドします。そうすることで、グループの安全な器に貢献します。安全な器ができれば、参加者は慈愛で受け止められると信じられ、より深いシェアや学びの可能性が出てきます。


他には、HTPの生徒さん達の宿題にコメントしたりもしています。


参加者として安心できる感覚は感じたことありますが、ヘルパーシップ意識でホールドするって言葉で言うとどういう意味でしょう?


これはとても繊細なプロセスです。誰かに指示されるものでもありません。その安全感を経験した後、それを提供する役割に入っていくと、自動的にその状態になります。自分の気付きをリラックスさせるような感じと言えます。一人に集中する訳ではなく(勿論そういう時もあるが)、自分の気付きを広げてグループ全体を支えるような感じです。エネルギー感覚でもあるし、肉体感覚でもあります。


言葉で言うとこれだけのことなんですが、実際にやると結構大変です(笑)。数時間続けてやる訳だから。瞑想みたいなものです。自然に集中してその状態を保つには練習が必要なんです。


日本人パスワーカの特徴や傾向として、何を思いますか?


日本に来て感じること、そして日本のパスワーカに感じるのは、お互いに対する深い敬意です。特別な近しさがあると感じます。アメリカは個人主義が強い国です。ユニークさや独自性を大事にするので、行き過ぎると他者に敬意を払い、助け、一緒に協力してワークすることを忘れがちになります。


私自身が学んだHTPのクラスでは、勿論特別な親しさはありましたが、日本のHTPクラスで見られたような助け合いのレベルは見たことがありませんでした。



お話を聴いていて、所属についての問題を想ったのですが、おそらく日本でもアメリカでも、所属について、多くの人が抱える問題があると思います。この部分で違いはありますか?


広く見ると、どの国であろうと人間性の課題として、所属の問題はあると思います。私たちは社会的動物で群れで生きるものですから。


けれど、現代的な個別生活を営む中で、相互依存関係は希薄になります。日本文化は確かに、お互いに対する持ちつ持たれつの関係に関して、より強い感性があるように感じています。グループ活動やグループへの所属について、より強い感覚があるように感じられます。

けれどそれでも、その持ちつ持たれつの感覚というのは、ある一定レベルまでしか行きません。その奥には、もっと深い繋がりや親しさを求めるロンギング、現れにくい所属感への希求があるのではないでしょうか。


アメリカでは、表層的な繋がりというのは沢山ありますが、やはり真の繋がりへの深い希求は同じくあります。表層のマスクを通り過ぎ、感情的エネルギーで他者と繋がり、深いワンネスを感じたいというロンギングです。


レクチャー75番で、孤立から始まり繋がりや統一性へ向かう旅路を「偉大なる人類の移行」と説明しています。そこには大きな所属感があります。持ちつ持たれつの関係が真に支えられている場所です。私たちは他者を必要とするし、皆の最善に協力したいと思う者ですから。

所属へのロンギングは、どの国の人でも共通にあるものではないでしょうか。


日本人のパスワーカの振る舞いや態度で驚いたことはありますか?


嬉しい驚きとして、皆さんのお互いに対する深いシェアに驚きました。

私は、日本人は感情を抑える国民性を持っていると思い込んでいました。そういう部分もあるのかもしれませんが、PIJのコミュニティーで経験した深い内的なシェアの表現を聴くと、日本の芸術にも共通するような明快さがあります。日本の詩を少し読んだりしたのですが、シンプルな言葉の奥に、広い感情的な領域の存在を感じられ、同時に、とても繊細で精錬された形の表現だと感じます。

日本人パスワーカのシェアを聴いて感じるのは、それと同じような感覚です。アメリカで経験するものとは全く違う新しい感覚で、私にはとても良い経験でした。


日本でのプロセスワークとアメリカでのプロセスワークでは、何か違いはありましたか?


プロセスワークについては、それほど違いを感じません。

一般化しない方がいいですが、敢えて言うならば、アメリカ人の方が、子供時代の困難や親の欠点に対する言及が多いと思います。日本社会には、家族の年長者に対しての敬意が強いのでしょうか。親に対しての感情を表現する時に、もしかしたら社会的制約がアメリカよりあるのかなと思いました。その感情があることは感じるので、グループの中でのシェアに対してチャレンジがあるのかもしれません。

繰り返しますが、私の限定的な体験の中からの観察だから、それが正しいかは分かりませんよ(笑)。



日本人のワークをサポートする訳ですが、言葉の問題を感じたことはありましたか?


言葉の壁は思っていたより問題を感じませんでした。

まず、通訳のレベルの高さがあったと思います。みどりさんの通訳能力によるところが大きいですね。

人が感情の領域に繋がり、それを表現し始めると、世界共通語でコミュニケーションが始まります。人間の痛みや喜びや後悔なんか、世界共通の感情的体験ですから。そのレベルからシェアを始めると、言語は問題じゃなくなります。

アメリカでも日本でも、同じ方法で耳を傾けていると思います。


PIJのコミュニティー初のHTPクラスがスタートした時から見ていらっしゃいますが、HTPクラスの変化について、お話頂けることはありますか?


HTPの皆さんの変化は沢山のレベルで感じています。

1つ目は宿題を通して感じています。

アリソンの出す宿題は体験型の宿題、つまり問いを自分の中に入れて、それに意識が答えていくというものです。答えるのが、意識のどの部分であっても、これはとても良いプロセスになります。自分の意識の様々な部分と、より大きな成長のプロセスがコミュニケーションをとる練習です。HTPの皆さんは、このプロセスに熟達して、より深く入って自身の意識の様々な部分とアクセスし、とても良い洞察を得ていると感じています。

また別な側面として、レクチャープレゼンテーションは大きな挑戦だったのではないかと思います。パスワークのレクチャーは深いし、沢山の層があります。レクチャーの精髄を伝えることを考えると、誰しもこの課題にたじろぐ所は少なからずあると思います。エッセンスを理解することのみならず、プレゼンテーションするので。

「誰かに教えられるようになるまでは理解していない」とよく言いますが、私の場合、レクチャープレゼンテーションを学んだ2年間は、私自身の成長と私が経験するパスワークを表現する能力を育てる大切な時間だったと思います。人に教えることは、教えられる側以上に学べる機会です。何故ならば、生徒役が提供された題材に様々なレベルで共鳴し、それをプレゼンターに明確に示してくれるからです。このレクチャープレゼンテーションの課題では、HTPの皆さんの成長を見たと思います。勿論まだ今後も続きますが(笑)。

私の場合は、2,3人でチームになってプレゼンテーションしたので、もう少し楽でした。日本のHTPの場合は1人で行うので、なかなか大変だと思います。HTPの学びの大きな部分だと思います。

もう一つは、自信を育てるという部分です。私自身のヘルパーシップ・トレーニングの当初は、自分がヘルパーの役割をしている想像すら難しかったです。しかし、プログラムの間に、自分がパスワークをシェアしていく可能性とロンギングを感じられるようになるにつれ、自分の思いの強さに一種の驚きを感じました。想像する以上の強さがありました。

HTPの参加者の皆さんを見ていると、自身の成長の実感、より深い個人的な経験を持ち、それを意図的に他者とシェアできるという自信が育っていることを感じます。

(*レクチャープレゼンテーション:パスワークレクチャーのレクチャースタディーをクラスの前でデモンストレーションするHTPの課題の一つです。)


それは、ロンギングとか情熱みたいなものですか?

そうですね。誰にでも個人的な人生の一部であるロンギングがあります。ロンギングは個人によって、人生で様々な現れ方や形をとります。けれど、どんなロンギングであっても、潜在的には、スピリット、神、生命の源に繋がりたい、分離から統一へ成長したいという人類共通のロンギングに繋がるのではないでしょうか。

パスワークのヘルパーシップで触れるロンギングの場合、他者が自分自身のロンギングと出会い、それを実現していくことをサポートできるこの方法を表現し、シェアしたいという思いが強調されるのだと思います。個人的なロンギングと、パスワークの叡智をシェアしたいというロンギングが結婚するようなことだと言えます。



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