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執筆者の写真pathworker

ガイドレクチャー250番「内なる恩寵への気付き--欠乏意識を明らかにする」

今回は、オンラインワークショップシリーズ第2弾 <豊かさへのトランスフォーメーション〜欠乏意識から真の富へ>の第1回目のクラスで使用するレクチャー「内なる恩寵への気付き--欠乏意識を明らかにする」から、読書感想文をシェアさせて頂きます。

個人的感想ですが、よろしければどうぞ最後までお付き合いください。



「神による恩寵は存在します。それは常に存在し、存在するすべてのものに浸透しています。究極的な現実の性質そのものに恩寵は存在し、そして究極的な現実は完全に恵み深く良性です。」


レクチャーの中に頻出する「恩寵」という言葉を読みながら、「海幸山幸」を思い出しました。

「さち」は狩猟採集に関わる古い言葉で、古代日本語では「さ」は境目「ち」は霊力を表わし、境界の領域の霊力とうまく関わると獲物が手に入るという意味だという話を読んだことがあります。だから、海や山に入る時には、禊をして身を浄めてから入り、首尾よく獲物が手に入れば豊かになる。現代は「さち」は多いが、果たして「幸福」って何だろうかという話でした。(「仏教が好き!」河合隼雄×中沢新一/朝日文庫)


ガイドは、今より昔の方が、恩寵を容易に受け取ることができたと話しています。強大な自然の中、日常的な死が隣り合わせだった時代には、出会った獲物は海や山から、そして神からの贈り物である実感が強かったのだと思います。


現代に生きる自分のことを考えると、昔より安定した獲物供給があるにもかかわらず、それはむしろ自分でゲットしたものという感覚が強く、恩寵への気づきは薄いように思います。恩寵への気づきが薄い分、他と比較したり、物足りなく感じたり、しがみつく傾向も強いような気もします。




私たちの呼吸する空気、毛穴!(そう書いてあります)までをも満たす、この恩寵をブロックする個人の歪んだ解釈や不完全な物の見方を、ガイドは「鉄の壁」と形容します。しかしこの「鉄の壁」、実際のところは霧のようなものであり、自らの弱点やブロックに向かい合うことで消えてしまうとも話しています。


「ブロックや誤った視野があなたを神の恩寵から切り離しているわけですが、そんなときでさえも自分が気づいていないだけのことで、皆さんは神の恩寵の中を泳いでいるのです。」




ガイドは続けて、受け取るという魂の生来の能力や切望が制限された時の状態、自然な魂の動きが阻害された時の様子を、以下のように説明します。


「いつでもそこにあり、味わい経験することができる富がそこにあるにも関わらず、手を伸ばすことができないようなものです。感覚は富を感じ取ることができず、目は富を見ることができず、脳は赤裸々な現実を観察することさえできないかのごとくです。人格全体の感覚が鈍化し、完全に歪んだ人生の見方に焦点が当たってしまいます。貧しく何もない宇宙に自分は生きているのだという幻想が大きくなり、自分の内部の世界もこの宇宙と等しく貧しく何もないため自分には与えるものなどまったくなく、外から受け入れるものも何もないという幻想が膨れ上がります。」


読みながら「う〜ん」と唸ってしまいます。

続いて、悪循環の中で欠乏意識が増幅される様子も説明していきます。残念すぎる気分に拍車がかかります。良い品は全て抱え込んでおこうという欠乏意識のエネルギー、私自身の姿をあからさまに見せられた感じです。




かなり気分が落ちた所で、ガイドは好循環の話に入ります。欠乏意識に疑問を持つことで、新たな可能性が生まれる過程を話しています。自然な魂の動きである「メカニズムを施錠していたレバーを解除することもできます。」と勇気づけてくれます。


悪循環の話から好循環の話に移るだけで、これだけ気分が変わるのかと面白かったです。

ガイドレクチャーの情報は、言葉を超えたエネルギーだと改めて思いました。お金の話に絡むからか、このレクチャーは特に、エネルギー感をダイナミックに感じます。もう既にレバーに手をかけているような希望を感じつつ読み進みました。




次に、ガイドはもっと大きな問題について言及し始めます。好循環に入ることを妨げる「不足や欠乏の状態の上に何かを築いていこうとする人間の傾向」について。このくだりで、より深く潜ります。


ガイドはこのプロセスを「経済」という言葉を使って説明します。

自分自身の赤字負債を隠したまま、欠乏の土台の上に経済を繰り広げる状態。「常に不足の状態で自分を機能させ、歪んだ形で与えようとしています。」という言葉が心に刺さります。いつもながら表現がきつい…


さらに、個人的な経済破綻と、集合的なコミュニティーの経済破綻に、同じ土台が見られることに衝撃を受けます。「経済の膿を出す」って、よくメディアから体感ないまま聞く言葉ですが、自分自身の「経済の膿を出す」なんて言われたら…まぁ〜恐いです。


「国家が、革命、戦争、崩壊、財政破綻などの深刻な危機に陥るときは常に、明確さや秩序、真実、不足や赤字を表に出すという作業を自発的に確立するという、故意にある程度コントロールされた状況下でこうした作業を選択し行うことなしに長く放置された結果なのです。」




そして、この赤字負債を明らかにし、より健全な土台の上に経済を築くプロセスについて、ガイドは「神を通して、神と共にあって唯一可能」と話しています。


人によって時代によって、何を「豊か」と感じるかはそれぞれですが、望むものがどんな「豊かさ」であろうと、受け取るものが神の恩寵であることへの体感が伴っていることが鍵になるのかもしれないと思いました。

「神と共にあって唯一可能」なプロセスは、人類が抱く多種多様な「豊かさ」への希求の根っこで共有されている「真の豊かさ」への切望から始まるように感じました。


前回4月のオンラインワークショップで使用されたレクチャー243番「存在に対する大いなる畏怖と切望」の説明の中でブライアンは、「私たちが恐怖と向かい合い、それに開く勇気を持つことができる時、それは自動的に私たちを切望へと運んでくれる。恐れは切望に変容し、そこで私たちは神を体験する。ガイドはそれを約束している。」と話してくれました。

250番を読んで、その言葉を聴いた時の感動を思い出しました。




上記で触れた243番レクチャーは、エヴァが60代初めで癌を告知され、死の恐怖に向き合う1年半のプロセスを経た後に開催された最初のチャネリングだったそうです。エヴァはこのチャネリングの後、2年後に亡くなっています。


この250番レクチャーは、エヴァが亡くなる前年のチャネリングです。

レクチャーの内容から、当時、成長し続けるコミュニティーを安定した現実的な土台の上で安定させ、エヴァ亡き後もパスワークの成長に備えていく課題があったのではないかと思いました。


そんな背景も含め、エヴァの遺産、コミュニティーにいた多くの人々の投資、与えて受け取るメカニズムで広がったエネルギーと、その「恩寵」までをも感じさせてくれる、力強いレクチャーでした。




さて、

PIJオンラインワークショップの1回目クラスを担当していただくブライアンですが、お金についての集中ワークショップをよくされるそうです。250番のレクチャーは、そのワークで使用される複数のレクチャーの内の1冊です。


ブライアンのお金のワークショップでは、参加者はそれぞれの経済的状況について、あらかじめ徹底的に準備するように求められ負債、純資産、経済的な信用スコア、実家の家族からどのようなお金についての信念を受け継いでいるのかを明らかにしておくそうです。まさに、経済の膿を出すワークですね。


7月のオンラインワークショップでは、この大きなワークの一部が提供されるとのことです。いつか日本でも、このお金のワークショップ、開催されるようなら参加したいな〜恐いけど。なんて、個人的に思っています。


ブライアンのシンプルでパワフルな教えから、人生の赤字負債を明らかにして、「真の豊かさ」を創り出したい!という方、ぜひ内容チェックしてみてくださいね。




7月17日(土)朝9時〜11時 開催


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