パスワークの学びは、私たちが各々の真の自己から生きることを助けてくれます。
人生で何をしようと、それが真の自己の表現になること、その表現じたいが喜びであることを教えてくれます。
今回は、7月に引き続き、コミュニティーメンバーからのシェア第2弾として、パスワーク・ヘルパーシップ・プログラム(HTP)に在籍されている、あいさんからのご寄稿をシェアさせて頂きます。
こんにちは。
わたしは、あいと申します。
わたしがパスワークを知ったのは、2010年の暮れに大前みどりさん(当時は松信みどりさん)のお宅でパスワークの本を紹介されたのが始まりでした。パラパラと本をめくり、ページが止まったのが「愛とエロスと性の力」の項でした。そこに何が書かれていたのか忘れましたが、そのテーマに惹かれたのが思い出されます。
2011年1月11日にパスワークの本が手元に届きました。偶然この日は、28歳の誕生日でした。以後、今日までこの学びを続けています。それも、この学びの土台を作り、サポートし続けてくれているPIJのみなさん、ともに学び続けている仲間たち、先生たち、世界でパスワークを学んでいる多くの人たち、パスワークの情報をチャネリングしたエヴァ、そしてガイドたちなどたくさんの存在のおかげです。
レクチャースダディ1〜3、防衛なき自己、PTPを経て、いまHTPの3年生の終わりです。今年でパスワークを学び始めてから10年経ち、そのようなときにこのブログのお話をいただき、自分の体験をシェアできる機会をいただいたことに感謝しています。
さて、今回、ここに書かせていただく内容はパスワークの学びをどのように自分の仕事に生かしてきたかということです。
わたしの仕事は看護です。いまは訪問看護師として自宅で暮らす高齢者や障害を持つ方の体調を見たり、生活上のアドバイス、点滴やお薬の管理など医療の補助、入浴や排泄のお手伝い、リハビリ、家族の相談や病院とのやりとりなどをしています。学生時代から、看護という仕事は何をする仕事なのか腑におちず、ずっと問いかけ、悩み続けてきました。
看護は、他人の健康や生活に関わっていく仕事です。人間は、肉体を持ち、考えや気持ちがあり、感情があり、霊性がありながら、かつ社会の中で他人と関わりながら、毎日の生活過程(起きたり、寝たり、歯を磨いたり、お風呂に入ったりなどの清潔行動を取り、食事や排泄をし、更衣し、仕事や家事など細々とした活動の過程)を繰り返しながら生きている存在で、常に変化しながら生きています。その中で、健康状態を保ち、ときに病んだり、癒されたりしながら生きています。人が病むときには、治るものと付き合っていかなくてはならないものがあり、かつ、病気にもすぐに対処しなければいけない時や長い目で生活を見直したり、生活そのものを変えていくものなどいろいろな段階があります。そして、赤ちゃんや子ども、学生、成人、高齢者などさまざまな年齢や生きてきた環境によっても肉体や心のあり方、生活の仕方が違うため、健康や病気のあり方も変わっていきます。そのような人の状態をよく見て、その人にとってのより健康に向かえるように生活過程を整えようと働きかけるのが看護の仕事です。
学生時代のわたしは、看護という立場で人に関わることをとても複雑に感じていました。形がないし、答えがないからです。看護は、プロセスがあって初めてそれが看護となり得るのかどうかがわかるものです。資格を取り、看護師として働き始めてからは、毎日目の前にある業務をこなすのに精一杯でした。そして、数年してから、自身の行った看護について時間をかけて振り返るというグループワーク形式の勉強会に出席しました。数人の諸先輩方の助けを得ながら、自身の看護をていねいに振り返りました。そのときに、看護が人の何を見て、どう働きかけ、その変化をどう評価するのかのプロセスがみえ、看護という仕事の一部が何か腑におちたように思いました。この勉強会後、この学びを生かすべく、日々仕事をしていましたが、当時、病院で働いていたわたしは、あまりにもやることが多く、“やること“で1日が終わってしまい、立ち止まって一人一人の看護をていねいにやっていく余裕などないなと感じていました。そして、疲れてもいました。他人の変化を感じ取りながら、ケアを進めていくには、自分自身のあり方が大切だなと思うようになりました。自分に余裕があるときに見えるものと、余裕がないときに見えるものはずいぶん違います。わたしは一度休むために仕事をやめました。その頃にパスワークに出会いました。その後、看護以外の仕事をしようと考えた時期もありましたが、いろんなプロセスを経て、わたしは看護の仕事に戻りました。
パスワークの学びとともに、看護の仕事に戻ってから今までと大きく違うのは、いい看護をしようと外側に向かっていた部分に、仕事を通して自分のことを見つめようという内側の視点が加わったことです。わたしはこの学びを自身のケアをするためのツールとして使うようになっていきました。同僚や上司との関係性や利用者さんとのやりとりで引っかかること、辛く感じること、怒り、葛藤など、そのとき必要なことについて、いったい自分に何が起きているのか、どうすればいいのか、定期的に個人セッションを受けてきました。さらに、パスワークのワークショップに参加したり、レクチャースタディのクラスやPTP、HTPに参加するなど学びを深めてきました。その中で、わたし自身の内側に根強い自己批判や多くのネガティビティ、イメージがいろいろな層にあり、それを日々少しずつワークしました。そして、自分自身を掘り下げていくことで、本当に一歩ずつですが自分自身を受け入れ、信頼できる土台が育っていきました。それと同時に、一人の人間の深さや尊さを感じ、生きるとはどういう感覚かが感じられるようになっていきました。
わたしは、看護師という職業柄もあるのか、他人のケアに一生懸命になることはできても、自分のケアにはあまり一生懸命になれませんでした。そして、どうすることが自分をケアすることなのかもわかっていませんでした。パスワークの学びを通して、少しずつ自身をケアすることを学び、癒されていく中で、他人に対してよりよいケアをするには自分のケアが欠かせないと感じるようになっていきました。自身のケアをしながら、他人のケアをするというあり方が、仕事に対する自身の選択を少しずつ変えてきました。
いま“という場所で看護の仕事を見つめると、わたしはこの仕事が好きだけど、この仕事が全てではないと思うようになっています。仕事は自分の人生にとって大切なことの一つで、だからこそ多くのこだわりや信念のようなものがあります。ある信念が以前はよく思えたことも、いまは、それは本当の自分の場所から来るものなのかと問うようになっています。わたしの場合、仕事だからとういう理由で自分を押し殺して、無理をしてきたところが本当に多くあるからです。このような問いを持つことで、見たくない、感じたくないことがいろいろと出てきます。いままで押し殺してきたこと、無理をしてきたことに直面しないといけないので、他人の目線でこうした方がいいだろうと思い、やってきたことをやめなければいけないかもしれない、自分のニーズを優先することで他人に迷惑をかけてしまうかもしれない。そして、それを感じたくないと一部のわたしは思っています。そういうところを感じ、見つめ、サポートを求めながら、新しい可能性に開き、感じ、ワークしていく毎日です。
パスワークを学んだことで忍耐力とサポートを求めることが養われたと思います。そして、自分という存在に対して確かな感覚を感じられるようになりました。それは自身の人生にとってとても大きなことです。これからも、多くの仲間とともにたくさんのサポートを得ながら、自分自身もまわりのサポートをしながら自身のパスを歩んでいきたいと思います。
長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。
あいさん、ご寄稿ありがとうございます!
「ある信念が以前はよく思えたことも、いまは、それは本当の自分の場所から来るものなのかと問うようになっています。」という一文に、パスワーク、そして看護のお仕事にコミットして来られた、あいさんの年月を感じました。
冒頭に書かれているレクチャー「愛とエロスと性の力」の中にある問い「どうしたらエロスを維持できるのでしょう?」「どうすればエロスは愛の架け橋となるのでしょう?」(パスワークより引用)その言葉にならない答えを感じさせて頂いたような気がしました。
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