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「完璧でないのはわかっている。だけど完璧なフリをしてしまう。」

ウェンディ―・ハバード

 

理想化された自己イメージ、それが与えるダメージ、回復の約束――神聖なる人間性へ、私たちの本質へ――というテーマについて書くにあたり、いろいろな方の意見を参考にさせていただきました。

ご尽力くださった勇敢な魂を持った皆様に感謝いたします。

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上の写真――スーザン・Gによる理想化された自己イメージ――は、段ボールを自由に使ってテーマをビジュアライズしたものです。上に置かれた構造すべてを支えるには、もろくて不適切ですが、無作為でまとまりのないさまざまな飾りが彩りを添えています。美しく描写された理想化された自己です。私個人の意見としては、それぞれのピースが個人や人生に対する信念を表していて、なるほどと思います。全体としての解釈は…そうですね、あなたはどう思いますか?

 

パスワークレクチャー(PWL#83)にはこう書かれています。「あなたは子供のころ、どのような環境で育ったにせよ、「善良で、神聖で、完全であることが大切だ」という忠告を植えつけられました。その教えに背いたときにはしょっちゅう、何らかの罰を受けました。おそらく最もひどい罰は、両親が愛情を示してくれなくなることだったでしょう。つまり、両親を怒らせてしまったので、自分はもう愛されてはいないという印象を受けたときです。ですから、「悪」が罰や不幸と結びつけられ、「善」が報酬や幸福と結びつけられているのも当然です。こうして、「善」にして「完全」であることは絶対的義務となり、死活問題にさえなりました。にもかかわらず、世間が持っているであろう期待のようには自分が善良でも完全でもないことも、あなたはよくわかっていました。この事実は隠しておかなければなりませんから、罪深い秘密となり、偽りの自己を作り始めなければならなくなったのです。」

今、私には素晴らしい仕事をする人たちと取り組んでいることがあります。それは長い時間をかけて作られた理想化された自己のマスクを取り除くことです。パスワークでは理想化された自己イメージのことを完璧主義者の基準と呼んでいます。私たちはそれに従い、それを世間に示しています。理想化された自己イメージは、数多くのイメージ(脳の発達の分類および選別段階に形成された世界と自分自身についての信念)をもとに作られます。私の4歳の孫は今これをやっているところです。「僕とパパにはおちんちんがあるけど、おばあちゃんとママにはない。」このようにして、男性と女性についての決まり事を見つけ出し、それはイメージとなって彼の心に残ります。彼はまだ幼いので、それは無意識のイメージとなります。多くのイメージの中には、原因と結果についての決まり事もあります。子供は、神がかり的な秩序や意味を作ろうとします。「僕がこれをしたら… その時は...いつもこうなる。」と。我が家では、パジャマを裏返しに着たら、次の朝は雪になると言うのが習わしです。無意識のイメージの中には、これと同じくらい摩訶不思議で見当はずれの、大人からするとほとんど意味をなさないものがあるかもしれません。

例えばこんなこともあります。「私は特別だから、どんな悪いことも起こらないよう予防注射を受けたの。」と信じている人がいます。(その小さな魔法のような考えに微笑んでしまうかも)「後に、悪いことが起こります。きっと隠れて小さくなった方がいいだろう。」(このようにして、大人になると摂食障害や別の問題が生じます。)「でも、お腹がすいて、すごく寂しい、すごく怖い。もっと素敵な(特別な)人になる努力をしたら、救われるかも。でも、その期待に応えられないと、悪いことが起こり続ける。そして、また隠れて小さくなる。世界はなんて危険なとこなの。」どの理想化された自己イメージにも共通して言えるのは、世界を安心できる場所と感じられないということです。

孤独、そして大抵重いうつ病につながるイメージが次から次へと生じてくる人もいます。その場合は、次のようになります。

「サポートを感じられない。感じたとしても、十分ではない。十分なサポートがなければ、独りぼっちだ。独りぼっちなら、十分ではない。十分でなければ、人生は絶望的だ。(ここからうつ病が始まります。)人生が絶望的なら、もっと頑張らないと。頑張っても、十分にはならない。人間関係には期待しない。そして、本当に独りぼっちになる。」これはちょっと厄介です。サポートがなくても、誰よりもうまくやれるといった高慢な態度で、理想化された自己イメージが全部独りでできるということが問題です。そうすれば、恐怖と孤独に捕らわれます。心の奥底で、理想化された自己イメージの言葉を信じていないからです。世間に示していても、それが間違いであることに私たちは気づいています。

この2つの例で、理想化された自己イメージには2つの特徴があることがわかります。あまりにも厳しい道徳的規準――期待に応えるのは不可能――と強さ、孤高、優越といったプライドです。このように互いに相容れない考え方が共存していると、精神はとても苦しむことになります。

自分の分野で成功した人がいますが、どんなに成果を得ても、安心できません。その成果は本物であり自分の手で勝ち取ったものであっても、心の底に非常に厳しい基準があり、その期待に応えきれていないと思うからです。そのため、ごまかしだと思われる――発覚する――ことを常に心配し続けるのです。

「理想的な自己像の問題がもたらす重大な結果は、真の自己とどんどん疎遠になってしまうことです。理想的な自己は偽ものです。生身の人間に似せて、しっかりと、人工的に作り上げられたものです。」PWL#83

生涯にわたって嘘の自己を築き上げている中で、真の自己を発掘するのは大変な仕事です。次のように語る人がいます。「その通り、いつか、どうにかして、それ(理想化された自己イメージ)を取り替えなくてはなりません。それがまさに混乱を招くのです!時として、愛はそれがない状態にとてもよく似ています。とても不完全なものです。その不完全さの中でも、より強く、より純粋に、より意味のあるものです。人間とは尊敬すべきものです。この不完全さを信じることはとても恐ろしいことです。」

次のように言う人もいます。

「私は権力のマスクと重なり合ったとても分厚い愛のマスクを被っています。他のすべてが失敗に終わったら、それは剥ぎ取られます。逃げ道を見つけるずっと前からそのことには気づいていました。近頃、思い切ってすべてに本音で生きようとしています。欠点があっても、常に本当の自分に戻ろうとしながら、その下に隠れている真の人生を実際に始めて、その喜び、愛、供与、努力をすべて見つけたいと願いながら。今日、私は祈ります。ありのままの自分でありますように。真実を感じ、理解し、語ることができますように。そして自分に寄り添うことができますように。狂ったように逃げ回り、マスクを被っていた時には、感じたことのないような私です。」

深い探求、芸術作品、文学作品といったものは、創造性、多大な努力、希望で溢れています。あなたも希望を感じ、あなたの不完全な人間の自己を一緒に信じてみませんか。自分自身――真のありのままの自分――と寄り添うことで、世界はもっと安全な場所になります。

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